大判例

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神戸地方裁判所 昭和33年(わ)1161号 判決

被告人 アキこと明崎成雄

大一五・三・三生 無職

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、昭和三二年一二月二四日午前一〇時頃、神戸市生田区相生町五丁目二五番地簡易宿泊所五十鈴荘の事務所において、藤本成明所有にかかる男物背広上衣一点(時価約五、〇〇〇円相当)を窃取し

第二、昭和三三年九月二九日午後一一時頃から翌三〇日午前二時頃までの間に、同市長田区名倉町四丁目五三番地中田栄方において、同人所有にかかる第二種原動機付自転車一台(一九五七年型マーチン号、鑑札番号長〇〇二二―時価約四五、〇〇〇円相当)を窃取し

たものである。

(証拠説明)

(一)  まず

一、藤本成明作成の被害届

一、同人の司法巡査に対する供述調書

一、改森一市作成の質取並提出書

一、司法巡査作成の領置調書(検甲四号)

一、証人林田誠一の当公廷における供述

によると、判示の簡易宿泊所五十鈴荘の管理人林田誠一は、盗難の前日である昭和三二年一二月二三日、同宿泊人藤本成明から同人所有の背広服上衣一枚の保管を頼まれ、宿泊所事務所北側の壁につつてあるハンガーのうち最も入口に近いものに掛けておき、翌二四日午前九時頃外出する際には、右の場所に前記上衣のあることを確認し、同事務所入口のドアに鍵を施し、同宿泊所前路上で新聞販売をしていた宮本光子にその鍵を預けておいたこと、同日午後七時頃同事務所に帰つたときには右の上衣はすでになくなつていたこと、その上衣は、質商改森一市方へ同日午後四時頃入質されていたことが、それぞれ認められるから、右の上衣は、同日午前九時頃から午後四時頃までの間に盗まれたものといわなければならない。

(二)  次に

一、被告人の当公廷における供述

一、証人林田誠一、同宮本光子の当公廷における各供述

一、司法巡査作成の実況見分調書(検甲二号)

を総合すると、右二四日午前一〇時頃、被告人が、前記宮本光子に対し「同宿人(氏名不詳者)の依頼により事務所内に預けてある風呂敷包を取り出したい」旨申し出たので、同女において、預つた鍵で事務所入口のドアを開け、まず同女が入つて荷物を捜したが判らなかつたので、被告人が右の事務所内に入りともに捜したうえ、被告人がこれを見つけ、宮本において、事務所入口の外で待つていた某に手交し、入口に錠をして出て来たが、さらに宮本が被告人から右の荷物の保管を頼まれ、錠をあけて事務所に入り、荷物を格納して再び鍵をして出て来たこと、同日夕方宮本が右預つた鍵を宿泊所経営者の妻に返還するまでは、だれもその事務所に入つた者がないことを認め得られる。

(三)  さらに

一、改森一市作成の質取並提出書

一、被告人の当公廷における供述

一、証人宮本光子の当公廷における供述

によると、被告人が、同日午後四時頃、同市長田区五番町八丁目八五番地の四質商改森一市方に右の上衣を金一、一〇〇円で入質していること、宮本光子は、同日被告人が小さな風呂敷包を持つて外出するのを見ていること、その翌日盗難事件で関係者が騒ぎだし、事務所に入つた者に嫌疑をかけられるようになつたので、被告人が同宿泊所を出て行つたことが、それぞれ明らかである。

(四)  そこで、右窃盗犯人はだれであるか、ということになる。被告人は、当公廷において、判示の背広服上衣は、右二四日午後三時頃、五十鈴荘前の満月パチンコ店で、同宿泊所に泊つていた氏名不詳の労働者風の男から入質を頼まれ、これを改森質店に入質してやつたものであつて、自分が盗んだものではない、と弁解しているのであるが、かような第三者の介入を推測させるような証跡はどこにもなく、かつ、賍品の入手経路について被告人の弁解を認めるべき合理的根拠がないから、その弁解は信用できない。

そうすると、本件の窃盗犯人は林田誠一の不在中に事務所へ入つた者のうちのいずれかであるが、同人の不在中事務所に入つた者は被告人と宮本光子との二人だけであり、そして、宮本光子が窃取したという証跡は全く見当らないのである。

結局、以上の証拠を総合判断し、被告人が判示のように、本件上衣を窃取したものと認定しなければならない。

第二の事実について、

(一)  まず、

一、中田栄作成の被害届

一、証人中田忠、同中田栄の当公廷における各供述

によれば、判示九月二九日の午後一一時頃から翌三〇日午前二時頃までの間に、中田忠、中田栄兄弟の住居の中庭に、エンジンキーを抜いて置いてあつた右中田栄所有の判示原動機付自転車一台が何者かによつて窃取されたことが明らかである。

(二)  次に、

一、被告人の当公廷における供述

一、証人辻原啓行、同和田栄の当公廷における各供述

一、延山正男こと玄昌煥、津曲康博、小浜富士夫、増田健生の司法警察職員に対する各供述調書

によると、被告人が前記三〇日の夕方、同市長田区長田商店街入口附近の路上で、かねて顔知りの間がらである同区四番町七丁目六二番地おもちや屋のむすここと辻原啓行(当一七年)に対し、「今日は飲んどるから車に乗れんので、お前とこの倉庫にこの車を一日だけ預つてくれ、そして翌日の夕方五時か六時頃、丸十の喫茶店へ持つて来てくれ」と言つて、判示の車の保管を依頼し、かつ、同時にキー(検乙一号―被告人所持の合鍵と認められる)を交付したこと、その日辻原方の倉庫がふさがつていたので、同人は、これを友人の同区六番町五丁目五五番地の四小浜富士夫方に持つて行つたが、同人が不在であつたので、始末に困り、同夜長田高等学校構内の建物の裏に隠しておいたのを、同校の警備員和田栄が発見し、置き場所の点やネームプレートの字が消しかけてあるなど不審に思い、これを同校職員室前に移動しておいたので、翌一〇月一日朝、これを知つた辻原は、危険を感じ、友人延山こと玄昌煥、津曲康博に頼んで一緒に学校へ行つてもらい、延山の証明で、和田から右自転車を受け取つて帰り、前記小浜方へ持つて行つて預けておいたが、右和田の申告により、警察官が辻原方へ調べに来たので、ますますこわくなり、その日は丸十喫茶店へ行かなかつたところ、翌二日、被告人が、少年増田健生を介し、辻原に対し「神戸屋喫茶店へ車を持つて来てくれ」と連絡して来たので、辻原はこれを警察官に申告し、同二日午後六時半頃、同区四番町九丁目神戸屋喫茶店前路上において、被告人が辻原から車を受け取つているところを逮捕されたものであることを認め得られる。

(三)  そこで、

被告人は、逮捕以来終始自分が窃盗犯人であることを否認し続けているが、本件自転車を所持していた理由について、当初警察における供述(検甲三八、三九号)では、自分は、九月二九日から一〇月二日にかけて毎晩妹婿中井馨方に寝泊りしていたもので、一〇月二日は、朝八時頃起き、長田交叉点附近のピカ一パチンコ店や山陽パチンコ店でパチンコをしていたところ、同日午後六時頃、右山陽パチンコ店でパチンコをしていた住所氏名不詳年令四〇才くらい肥満型の男が単車に乗つて来ていたので、自分は今まで一度も単車を運転した経験はなかつたが、一度乗つてみたいと思い、同人に「車を一ペンいろうてみたいからキーを貸してくれ」と言うと、その人は「どこやそこや乗り廻わさんといてくれ」と言つてキーを貸してくれたので、表に置いてあつた単車にキーを入れようとしたときに、巡査が来て質問せられ、自分を連れて行こうとするので「このパチンコ店の中に持主が居るから捜してくれ」と言つたが、巡査はそれを取り上げず私を連れて来たのであつて、辻原や散髪屋のむすこは右の単車に絶対関係がない、と供述し、検察官に対しても同趣旨の供述をしていたが、公判廷においては、九月三〇日の日の晩七時頃、ピカ一というパチンコ店で、名前を知らない四〇才くらいのやゝ肥えた紳士風の男から車の売却の世話を頼まれたので、かねてから車を欲しいと言うていた辻原という人を思い出し、そのことを言うと、「連れの男に自転車を持つて行かせるから、この前の朝日タクシーの裏の空地で待つていてくれ」と言われ、十八、九才学生風の男から右の場所で判示の自転車のキーを受け取り、丸十喫茶店に居たおもちや屋の辻原という男を連れて右の空地へ行くと、前記の若い男が辻原に対し車の値段を言うていたが、辻原は「今晩九時に丸十へ来てくれ、はつきりした値段が判るから」と言つて車とキーとを持つて行つたが、その晩は辻原が「金がないから待つてくれ」と言い、翌一〇月一日は姿を現わさず、一〇月二日になつて、辻原の使が「今晩六時半に神港パチンコ店で待つてくれ」と連絡があり、その時刻に同パチンコ店の隣にある喫茶店に居た辻原から自転車を受け取つているところへ警察官が来て逮捕された、と陳述し、被告人の供述は、それ自体前後むじゆんし、かつ、辻原啓行の証言、その他証拠によつて認められる客観的事実と著しくくいちがつている。例えば、辻原啓行は十七才の少年であり、かつ自宅には二台の単車があり、被告人に対し単車を買うなどと言つたことはないと申し述べており、また、九月二九日から一〇月二日に至る被告人の行動についても、被告人は九月初頃以降中井馨方を出ていて右の期間中同人方に寝泊りした事実がないことは、中井馨、中井月子、明崎まさえの司法警察職員又は検察官に対する各供述調書によつて明らかである。要するに、被告人の供述内容において、本件自転車の入手経路を合理的に納得させるものがなく、かつ、被告人の供述態度からみても、とうてい信用できないものである。

のみならず、証人中田栄、同中田忠、同和田栄の各供述によれば、右自転車のエンジンの配線が切断されて継ぎ替えられ、キーなしでエンジンがかゝるように作為されており、かつ、前輪上のネームプレートの「中田」の文字が消されかけていたことを認め得られるから、右の自転車が盗難品であることは一見して明白であつたはずである。

そうすると、被告人は、自分で右の自転車を窃取し売却するまでの間辻原に保管を頼んだものか、あるいは、他人が窃取して来た賍物を受け取りその保管を辻原に頼んだものか、そのいずれかに帰するのであるが、津曲康博(理髪店のむすこ)の司法警察員に対する供述調書にとると、同人が昭和三二年六月保釈出所後、拘置所で知合つた被告人が津曲に対し「単車をギツて(盗んで)来るからバイ(売)してくれるか」と相談を持ちかけたという事実があり、前掲の各証拠と彼此総合すると、本件の車は、被告人が判示のとおり盗んだものと認定するを相当とする。

(累犯となる前科)

被告人は、昭和二七年七月一四日大阪簡易裁判所で、窃盗罪により懲役二年(右判決は同月二九日確定)に、昭和三一年四月一四日神戸簡易裁判所で、横領、窃盗罪により懲役一年(右判決は同月二九日確定)に処せられ、当時右各刑の執行を受け終つたもので、右事実は、被告人の当公廷における供述及び検察事務官作成の前科調書(検甲四〇ないし四二号)の記載によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一、第二の各行為は、いずれも刑法第二三五条に該当するところ、被告人には前示前科があるので、同法第五九条、第五六条第一項、第五七条を適用して各累犯の加重をし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により、犯情の重い判示第二の罪の刑に同法第一四条の制限内で併合罪の加重をしたうえ、被告人を主文第一項の刑に処し、同法第二一条により、未決勾留日数中主文第二項掲記の日数を右本刑に算入し、訴訟費用は、被告人が貧困のため納付することのできないことが明らかであるから、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、被告人には負担させないことにする。

(裁判官 山崎薫)

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